千葉県は房総半島に位置する独立王国と称される。農産物は米・野菜に果物も豊富で、地下資源に天然ガスを産出し、東京湾岸には火力発電を初めとする石油コンビナート等の工業地帯が立地している。加えて陸・海・空の自衛隊の強い守りがあれば、利根川と太平洋・東京湾に囲まれた独立王国と称してもマンザラ嘘とも言えない。
さて、その近代王国にもビックリするような凄い僻地がある。その地に作られた蕎麦道場と蕎麦屋さんを「もみの木庵」と言うが、前回の戸隠蕎麦に引続き、蕎麦の故郷にご案内したい。
千葉駅から南下すること車で約2時間、そこに大多喜町会所(かいしょ)と呼ばれる地区がある。11月23日の勤労感謝の日には、「紅葉祭り」盛大に行われる養老渓谷の温泉街から更に山の中に入っていく。
会所は、かつては60戸余りの集落があり、戦後に満州から引き揚げて来た人々の生活の拠点であった。周りの山々は国有林で、森林伐採や製材、炭焼き、造林に就労して生活を維持して来た人々が多く、林野庁出身者としては無関心ではいられない場所である。平成13年春に会所の分校が廃止されるにあたり、施設利用に知恵はないものかと、時の町長から相談を受けたのがきっかけで、長野県の旧信州新町にある新蕎麦の時期限定での蕎麦民宿を千葉でもどうかと提案した。平成14年春に蕎麦道場が立ち上がり、翌年には保健所の認可を取り、蕎麦屋さんも併設することになった。開始から15年、今では大多喜町では一番活気のある場所とまで自慢できるようになっているが、普段は農作業に従事している住民の皆さんにとっては、土日祝祭日こそが休養日であるはずなのに、蕎麦打ち指導と蕎麦屋さん業に従事する忙しい毎日となった。「始めた以上は辞められない!」と、疲れた体に鞭打ちながら「継続こそ力なり」と頑張りつつも、後継者をどう確保するかに真剣に悩んだ時期もあった。そんな悩みを知った客人の中から、「俺がやってやる!」と生まれた心強いサポーターの助けによって道場・食堂が維持されるまでになっている。自家用車の家族連れに加えて、バイク集団の若者達が美味そうにお蕎麦をすすっている姿も見られる当地の秋は日に日に深まっていく。
会所に向う街道沿いに、かつて陶芸教室を開いていたお宅がある。小生が焼物に関心がある旨は、先の「益子の秋」で記載したが、この教室の陽気で元気一杯の小母さんが懐かしい笑顔で迎えてくれた。10年近くお会いしていない中で、多くの知人達の近況が聞けたが、嬉しい話に加えて病気で亡くなった陶芸師匠等の悲しい話にも直面する。陶芸の美意識と山野草を育てる気持ちは共通するのであろうか。庭にある山野草を植え込んだ手作りの大皿や植木鉢に遊びの心を見るが、かつての元気な時代の師匠の姿が目に浮かび人生の儚さを悟らされる。驚かされたのは、教室の目の前を走る「小湊(こみなと)鉄道」を走る名物トロッコ列車である。列車内から手を振ってくれる、お客さんたちの童心に返ったような明るい笑顔が忘れられない。文化の日、青空から降注ぐ太陽の暖かい陽射しを楽しんだ房総の秋の一日である。
フクロウのコレクションが趣味。画像は「なんでだろうな?」の標題で長野市の女流切り絵作家の作。好奇心の塊が若さの秘訣か。
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