行程図 東松島市は下から2番目
石巻市に隣接して東松島市がある。震災で被災した野蒜(のびる)小学校と児童減少地区の宮戸小学校を統合し、見事な木造校舎の小学校となって生まれ変わり授業を再開した現場を視察した。小学校の名前を東松島市立 宮野森小学佼という。
被災直後から、長野県信濃町にあるC.Wニコルが理事長を務めるアファンの森で、被災地の学校の児童たちを受け入れて、メンタルケアにも力を入れた「森の学校」を開校した。中でも野蒜小学校の児童や父兄から、「森の学校」の教育効果に期待が寄せられ、被災後に地元で計画されている新しい小学校の「校舎は木造」の希望が強く出され、当初の設計(RC構造)が大幅に変更されて今日の姿になった。東松島市からも新しい小学校の運営に、C.Wニコルにアドバイザーになって欲しいとの要請もあり、木造以外の学校にはC.Wニコルは協力できないとの強い姿勢が当初計画を大幅に変更させた。
施設を案内してくれた事務長は、「県内探してもこんなに素晴らしい施設はどこにもありませんよ。子供たちも震災の被災者ですが、ノビノビと育っています。C.Wニコルさんやスタッフの方々が、裏山を使った森林教育や室内での講義を通じて子供たちへの情操教育に手助けしてもらっています。数日前にニコルさんがストーブを囲みながら子供たちに話を聞かせてくれていました。赤い炎は人の心を動かすのだそうです」と話していた。
震災があった2011年4月に入学した野蒜小学校の児童は、以降6年間もの間、仮設校舎で学んできたが、2017年3月の卒業を控えて少しでも新校舎で学べるようにと、施工業者も工事を早めて2017年1月10日から校舎利用が出来たとの美談も残る。
昔とは随分違う雰囲気の教室
(参考)
震災被災地にあった野蒜(のびる)小学校と児童数減少の宮戸小学校が統合し、C.Wニコルの提唱する「森の学校」を表現する学校名として宮野森小学校となった
学級数 6年生が2クラスで、それ以外は1クラス 144名
校舎本体は木造(土台がヒノキ、柱等がスギで東北材を利用)であるが、渡り廊下が鉄骨造、鉄筋造として耐火区画を確保 校舎、屋内運動場が木造は宮城県初
総工費約18億円
設計:株式会社盛綜合設計 施工:住友林業株式会社
着工:2015年9月25日 竣工:2016年12月20日
C.Wニコルが理事長を務める信濃町にあるC.Wニコル・アファンの森財団では、被災地の子供たちを毎年アファンの森に招待して、心の傷を少しでも癒し元気を取り戻そうと野活動を展開している。
会員の皆様には今年一年「原っぱ」での作業、大変にお疲れ様でした。またこーちゃんブログを追いかけて頂きありがとうございます。
文面が少々長い、とのご意見も十分に受け止めさせていただきました。
来年も楽しい話題を探して旅に出たり、野山の中で一生懸命に生きている動物や植物の姿を追いかけてみたいと思います。
会員の皆様には、体調管理に十分に気をつけて、良いお年をお迎え下さい。
酉年よ、さようなら。
フクロウのコレクションが趣味。画像は「なんでだろうな?」の標題で長野市の女流切り絵作家の作。好奇心の塊が若さの秘訣か。
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