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栃木県の南東部、茨城県に接して益子町が有ります。隣町の茨城県笠間市と同じく焼物の町として有名ですが、江戸末期に笠間から移った大塚啓三郎により窯が興され、茶色や黒の釉薬を使った鉢や水瓶の生産が基本でした。近代化の流れの中で需要が減り危機的状況になりましたが、大正末期に窯を作った濱田庄司が「用の美」を見直そうとする民芸運動を柳宗悦らと始めて、花器や茶器等の美を求める作品の生産やバーナード・リーチらの外国人の作家も加わって益子焼の評価を高めて現在に至っています。
今から50年ほど前の学生時代、自転車で宇都宮から益子まで2時間程かけて友人達と見物に行ったのがきっかけで、焼物にドップリはまってしまいました。社会人になってからは、全国を出張する際にもチョッと時間を割いて窯元に足を運ぶのを常とするようになり、東京・霞ヶ関から九州・佐賀県への都落ちの異動内示をもらった際は心の中で「万歳!!」と叫んだものです。有田、伊万里の磁器の生産地に加えて、武雄(たけお)、唐津の陶器の生産地が身近にあるのです。当時、薪材の赤松が松枯れ病で供給危機にあり(枯れた松材は沢山有るのですが、油脂分が抜けてしまい火力が出ないのです)、代わりの薪材としてヒノキの間伐材が使えないかを県の林業支援で試験的に進め、NHKの朝の全国放送で紹介されたことも有ります。
焼物の産地の秋は、来週11月の3日前後の「益子大陶器市」がピークです。皆さんもお出かけになってみませんか。きっと貴方の気に入った素敵な作品に出会えると思いますよ。
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フクロウのコレクションが趣味。画像は「なんでだろうな?」の標題で長野市の女流切り絵作家の作。好奇心の塊が若さの秘訣か。
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