皆さんお元気ですか。今日はとても冷え込む一日でしたね。北海道の陸別町では-30℃に近い気温を記録しているようです。
さて、知人から古い復刻版の本を借りました。明治時代の林学者、本多静六博士が、軽井沢の将来構想(園遊地)をまとめるために現地調査に入った際に、油屋旅館で講演した内容を記録した本です。大正元年に出版された「かるゐざわ」(佐藤孝一編著)という本ですが、その本の付録に講演内容が記載されてます。
博士は講演で26の提言をしていますが、何点かを要約しますと、
1.道路整備は一般道路の整備の考え方ではなく、軽井沢の町を俯瞰して、大中小の回廊的な視点を基本にした道路計画を描き、重要なのは景観を鑑賞したり静かな 環境で歩くためには長い直線ではなく、短い距離での曲線配置を多用して、路線上の岩・樹木をも道路に取り込むような設計が必要。
2.水が少ない軽井沢の景観には、湖水配置を工夫すべき。その周辺には、モミ、トウヒ、モミジ、トチ、ナラの針広混交林を配置し、音楽堂や料理店を配置するのも面白い。
3.軽井沢はカラマツが多いが、単調でありこれに彩を加える工夫が必要。また、野の美を大切にするために、離山の中腹部の原野は残しておき、毎年刈り取るか焼き払い緑濃い草原を維持し、可愛い山野草類の種子を播いて人工的に管理してはどうだろう。
4.構想の実現に向けて、委員会を立ち上げて、著名人や専門家を巻き込み、土地や資金の寄付、施設の設置のための協議機関とする。
5.これら実施には、構想に関心を持つ専門技術者を配置して行う。
今から、100年以上も前の人が、軽井沢の将来を考えていたのには驚きましたが、さて当時の思いと現在の町の姿はどうでしょうか。明治神宮の森の設計に当たった、林学者 本多静六博士の知見の広さに感心してましたが、まさか軽井沢に来て構想を話していたとは思いませんでした。平成が間もなく終わろうとしている時に、改めて過去を学び、もっと現実を見つめ、よりよい軽井沢の住環境作りに行動していかなくては、と思いを新たにしました。
フクロウのコレクションが趣味。画像は「なんでだろうな?」の標題で長野市の女流切り絵作家の作。好奇心の塊が若さの秘訣か。
本多静六博士の構想が実現していたら今頃どんな軽井沢なのでしょう?
図面に書いてみたら面白いでしょうね!
100年前、本多博士は軽井沢の未来をこのように考えていた・・・・
今からでも出来るところがあるのでしょうか?
町長さんにもこの本を読んで頂きたいですね。