被災してから7年近くを迎える東日本大震災復興地を訪ねた。小生が10年余り勤務した会社は、空からの被災地撮影に加え被災港湾の整備や浸水区域の土地区画整備など復興関連の多くの業務に係わってきている。今月末で会社人間に一区切りをつける機会に、復興がどのように進んでいるのかを自分の眼で確かめるために現地に入った。先に報告(10月21日)した福島原発事故除染事業地に続いての現地報告を、3回に分けてお伝えしたい。
視察の入口は盛岡市である。新幹線で盛岡に入ったが、さすがに東北岩手県は雪の中である。かなり強い雪が降り続いており長居は危険と判断し、有名な冷麺ならぬ温麺で昼食を済ませ(椀子蕎麦は今風ではないとか)早々に宮古に向けて出発した。情報によると翌朝までに降雪量は20cmを超えたとの事。
行程図 盛岡市は一番上 宮古市からは順に下がる
震災時には重要な復興司令基地となった盛岡から東方向へ、太平洋に向って宮古市まで車で約2時間半かかる。雪は殆ど無いが、冷たい風が肌に刺す。
宮古市から北へ海岸に沿って30分ほどした所に、津波で大被害を出した田老地区がある。入り江の中に漁港があるが、昔から何度も大きな津波被害を繰り返し受けており、その度により強固な防潮堤を作り重ねて来たが、これが故の安心感が災いしたのか今回の津波でも避難が遅れた多くの人命を失った。出来たばかりの道の駅には、品数は少ないが元気あふれる売り子のオバサンの声が響いていた。植物好きな自分は、自然と目が行った「ユキノシタ」を2鉢購入した。超安かったが、果たして氷点下の軽井沢に持ち帰ってどう管理すべきか思考停止の不安が残る。
地区の基幹産業を支える漁港や魚市場の復旧がほぼ終わり、湾内には沢山の漁船が係留されている。市場でせわしなく作業する人々は、真剣な顔つきで魚箱などを動かしていたが、直ぐ近くの波止場で魚釣りする人に話を聞くと、「みんな此処に早く戻って来て欲しいけどもさ、無理なんだよね。その人らの気持ちもよーく解るからね。私らも辛いのさ・・・」 冷たい風が吹く中で、話してくれた老婆の横顔はどこか寂しげで、連れの息子の茶髪ながら暗く沈んだ表情も忘れることが出来ない。
(参考 被災直後の画像と現在を比較)
宮古市から南下し、山田町→大槌町(軽井沢町と復興支援関係)→釜石市→大船渡市→陸前高田市を経由し宿を気仙沼市で取る。
翌日の午前の多くを、東北の一大水産加工基地である気仙沼市での視察に当てた。
その後、前日には夕刻のため視察できなかった奇跡の一本松のある陸前高田市まで戻ることとした。
気仙沼市はかなり復興の進捗が早いのではないかとの印象を受けた。水産加工という東北漁業基地の大拠点の強みであろうが、復興の意気込みも外とは違うと自負する地元の勢いの成果であろう。
(参考 被災直後の画像と現在を比較)
フクロウのコレクションが趣味。画像は「なんでだろうな?」の標題で長野市の女流切り絵作家の作。好奇心の塊が若さの秘訣か。





























コメントを残す